院長の紹介とはぎまごの紹介

青木 康朗

あおき やすあき

37歳 昭和62年3月10日生まれ
妻と3人の子どもの5人家族

好きなもの

ソフトテニス 筋トレ 瞑想
 家族との穏やかな時間  緑に囲まれた空間 一人の時間

座右の銘

下を向いていたら、虹を見つけることは出来ないよ

岐阜県下呂市に生まれ、京都の大学へ

萩原町尾崎に生まれ、半径100 M は街灯がないポツンと一軒家に生まれました。初めて家に来る人にはこんな急な坂の上なんだね・・・と驚かれます。

益田高校から京都の大学(京都産業大学)に進学。
やりたいことを見つけに大学に進むも、ソフトテニスに熱中しすぎて、しばしば両親に「あんた大丈夫なの!?」と言われる日々でした。
大学もろくに行かず、危うく留年しそうになるもなんとか無事卒業できました。

大学3年生の春、何も将来について考えてなかった私が、周囲の就職活動モードに焦りを感じ、「何が本当にやりたいことなんだろう??」と考え始めました。
そこで出会った教授の先生に、「あなたがやりたいことをやったらいいんじゃない?」と軽く言われ(笑)その言葉を真剣にとらえ、
「そういえば小さな頃おじいちゃんにマッサージして喜んでもらったことが嬉しかったなぁ・・・」
ということを思い出しました。

さらに、学生時代に痛めた背中や腕の痛みに悩まされたこともあり、「今度は私がお体の悩みを解決するお手伝いができるといいな」と思い、急遽専門学校に入学願書を提出しました。
この時、いいよ。と言ってくれた両親には本当に頭が上がりません( ;∀;)

柔道整復師の専門学生に

大学4年生の春から柔道整復師の専門学校1年生になり、ダブルスクールで通いました。午前中は大学、夜から専門学校に行ったり来たりは大変でしたが、本当に充実した日々でした。

自分にとって勉強は苦痛なものでしたが、自分の興味のある分野ではこんなにも違うのか?と思うほど興味深く熱中して勉学に励みました。

さらにはアルバイトで接骨院に通い、臨床経験を積んでいきました
体を動かすことが本当に好きで、いろんなスポーツにハマりました!京都の御所の周りを朝一番に走って(8 km) から、整骨院に働きに行き、昼からボクシングジムに行ってサンドバッグをたたき、夕方は学校が始まる前に柔道の練習をして 夜勉強をして帰る。

今思うとよくそんなことやっていたな…と思う、そんな毎日を過ごしていました。

一生懸命アルバイトのお金を貯めてロードバイク(自転車)を買って、京都のアパートから自宅まで、220 kmの道のりを13時間 、1日で走りきったこともあります。最後の中山七里では両足がつり、まったく前に進めませんでした(笑)

その当時は友達との交流も多く、図書館で一緒に勉強をしたり、夜遅くまで夢を語ったりしました。

整骨院の分院長として勤務

そして専門学校を卒業し、それまでお世話になっていた整骨院の方に正社員として入社。必死に患者さんと向き合うものの、自分のスキルの無さに愕然として無力感を実感する日々でした・・・

痛みを感じている人にどう施術していけばいいのか、どのようにしたら痛みが和らぐのか。そればかりを考えていました。

慌ただしい毎日の中、分院長を任されることになり、責任感の増す中で勤務をしていました。その日々が3年間続きました。

そして2016年、30歳までに萩原で整骨院を開業して地域の方々の役に立ちたい!という目標を達成するために萩原へ帰ってきました。

地元へ戻り「はぎわらまごころ整骨院」開業!

現在まで「はぎわらまごころ整骨院」院長として、地域の方々の最高の笑顔を見るために!日々お体に向き合っています。

はぎわらまごころ整骨院、略してはぎまごの由来としては、小学校時代の校訓が「まごころあふれるおさきの子」がテーマだったからです。「まごころ」っていう響きが好きなだけで、当時は意味はよくわかってなかったと思います(笑)

でも、その名前が自分の屋号になるんだから、小さなころの思いはちゃんと残っているようで、素敵ですよね(^-^)

はぎわらまごころって、長いから略しちゃおうと思って、はぎまごにしちゃいました。今では少しずつ馴染んできてるのかなというふうに思い嬉しく思ってます。